母を亡くした巡礼の娘と巡礼坂
どんな伝承か
文化・文政から天保のころ、観音信仰が盛んになり、各地の人々が札所をめぐった。ある母子の巡礼が坂東九番の慈光寺、十番の正法寺と打ち、十一番の安楽寺を目指して松山の下沼のほとりまで来た。風花の舞う寒い夕暮れ、坂を下りて土橋にかかったところで母親が腹を押さえて倒れた。七つの娘は町へ薬を買いに走ったが、戻ると母はすでに息絶えていた。里人は母を無縁墓地に葬り、娘を引き取ろうという者もいたが、娘は初七日を過ぎるとひとりで巡礼を続けて去った。雪の夜に朽ちた土橋ごと落ちて母子とも溺れたという説もある。以来この坂を巡礼坂と呼ぶという。
原典より
このことがあってから、この坂を誰いうともなく巡礼坂と呼ぶようになったという。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。