氏家道でだまし討ちされた与吉の塚
どんな伝承か
昔、上松山村に与吉という腕っぷしが強く男気のある若者がいて、若者たちの頭として他村にまで幅を利かせていた。そのころは縁日などのたびに村同士が勢力を争って喧嘩をし、よその領分である喜連川の村とはとりわけ激しくぶつかった。与吉の度胸と腕力には喜連川の若者も手が出せず、勝ち目がないと見た彼らは悪知恵を働かせ、与吉をだまして氏家道へ連れ出した。物陰に潜んでいた者たちが棒切れや石で一斉に打ちかかると、さすがの与吉も多勢には敵わず、血まみれで倒れて死んでしまった。哀れに思った村人は与吉をその近くに葬って塚を築き、これが与吉塚と呼ばれるようになったという。
原典より
ほんで、ほごらに隠れでだ野郎どもが、てんでに棒っきれだの石っこだので、ぶっぱだえだもんだがら、さすがの与吉も大勢にあかなうもんじゃねえ、血いだら真っ赤んなって、ほごさぶっ倒れで、かわえそに、死んちったんだど。—— 氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史)
『氏家町史 民俗編――伝説・昔話』は、氏家町の町史民俗編のうち、第五章「くらしと言語」の第一節「伝説・昔話」と第二節「ことわざ、俗言」の初めを収めたものである。昭和七年版『氏家郷土誌』の数編と町史編さん室などが集めた話から選んだ二十七話を土地の方言の語りに直して載せ、勝山城にまつわる歴史伝説や地蔵の信仰伝説が多い。各話の末に方言を主とする語注を付け、ことわざの節では日常に使われた俗言を頭の音(あ・い・う)ごとに並べる。