尼が焼いた七堂伽藍と沈んだ鐘
どんな伝承か
昔、下寺尾には七堂伽藍と呼ばれる大きな寺があり、その庭は香川の七面堂のあたりまで続いていたという。高い所の堂に住む尼が夜ごと灯す明かりが小和田や南湖の海を照らし、まぶしさで魚が逃げて漁にならなかった。そこで小和田の漁師にだまされた尼は、自ら寺に火を放ってしまったと語られる。土手の下には寺の土台石があった。また鐘つき堂の下で女の子が男の子を背負って遊んでいると釣鐘が落ちてきて、鐘はそのまま地中に沈んだ。小出川のほとりのその場所の橋を鐘が橋と呼び、鐘が鳴るといわれたのは、埋もれた鐘が出たいとうなったのだという。
原典より
うまった鐘が出たい出たいとうなったのだという。—— 茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史)
『茅ケ崎市史 3 考古・民俗編』は、神奈川県茅ヶ崎市の市史の考古・民俗編のうち、第七章「伝説と俗信」第一節「伝説」の初めの部分である。今宿の旗たての松、のどの病に効くという芹沢のぎゃーぎばあさん、寒川神社の浜降祭の縁起、南湖のやせ地蔵、下寺尾の七堂伽藍と沈んだ鐘、小和田の涙橋などの伝説を収める。社寺堂縁起と地名のいわれの項に分け、明治生まれの話者の名と地区を添えた聞き書きに、『茅ヶ崎郷土史』などの文献からの引用を交える。