刑場を前に罪人が涙した涙橋
どんな伝承か
小和田の東海道沿いには六本松と呼ばれる所があり、昔の刑場の跡だと伝えられている。その奥には昭和に入ってからも焼場があって、子どものころ夕暮れにそこを通るのはひどく恐ろしかったと語り手は振り返る。あたりを整地したときには骨がたくさん掘り出され、刑場で処刑された人の骨だろうと言われた。東海道を引き立てられてきた罪人たちは、小和田の宿まで来ると刑場がもう目の前だと知って涙を流したといい、その場所を涙橋と呼ぶようになったという。
原典より
六本松の刑場へね、ずっと東海道を送られてきた罪人が、この小和田の宿に着いたときにもうすぐ刑場が近いからというんで、涙をこぼしたということですね。—— 茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史)
『茅ケ崎市史 3 考古・民俗編』は、神奈川県茅ヶ崎市の市史の考古・民俗編のうち、第七章「伝説と俗信」第一節「伝説」の初めの部分である。今宿の旗たての松、のどの病に効くという芹沢のぎゃーぎばあさん、寒川神社の浜降祭の縁起、南湖のやせ地蔵、下寺尾の七堂伽藍と沈んだ鐘、小和田の涙橋などの伝説を収める。社寺堂縁起と地名のいわれの項に分け、明治生まれの話者の名と地区を添えた聞き書きに、『茅ヶ崎郷土史』などの文献からの引用を交える。