夢告で生まれた長福寺の善光寺如来
どんな伝承か
法成寺の長福寺には、弐厘講善光寺如来と呼ばれる仏像が安置されている。その略縁起によれば、明治の初めごろ、桶狭間の長福寺の住職苗宝が信州の善光寺に参ったとき、夜の読経の途中で疲れて眠り込んでしまった。すると急にあたりが明るくなり、本尊の阿弥陀如来が姿を現して、自分と同じ像を造って人々を救えと告げた。苗宝は一人二厘ずつの寄付を集める二厘講を起こし、三河と尾張を歩き回って八万数千人の賛同を得て、明治十八年に善光寺と同じ一光三尊の如来像を造り上げた。像はのちに桶狭間から法成寺の長福寺へ移されたと伝わる。
原典より
すると、突然あたりが明るくなり、本尊の阿弥陀如来が現われて、自分と同じものを作って諸人を救うように、というお告げがあった。—— 西春町史 民俗編2――霊と神・祈禱・怪異(西春町(編)・西春町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西春町史 民俗編2――霊と神・祈禱・怪異(西春町(編)・西春町史)
『西春町史 民俗編2――霊と神・祈禱・怪異』は、西春町の町史の民俗編である。九之坪・岡・沖村・石橋など町内の各ムラに残る御嶽山や塚、堂、小祠、石塔、家の神、祈禱師、祈願と参詣、霊威と祟り、狐や狸の怪異と憑きものを、聞き書きと『徇行記』や村絵図などの記録から記す。霊と神、祈願と参詣、霊威と怪異の三節に続けて、第十二章の伝説の節をムラごとの十八項に分けて並べ、最後の項の五条川の大蛇の目撃談で結ぶ。