松崎の塞の神と木の塔婆
どんな伝承か
明治四十三年五月二十一日、柳田国男は松崎の町に泊まり、雨上がりの町を歩いた。松崎の明神は伊那下神社という額を掲げているが、どう読むのか、どういう意味なのかは分からなかった。境内には末社が多く、山へ上る口にある山口大明神はやや大きな社である。その下に塞の神があり、四角い大きな木の塔婆が立っている。上部の五輪の刻み方は墓の塔婆と同じで、そこに神官の手で佐田之大神、道祖神、五穀成就、町内安全などと書かれていた。
原典より
その上の五輪の切り方は墓のものと同じく、是に神官の手にて佐田之大神道祖神五穀成就町内安全などと書きたり。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。