左甚五郎が残した玄蕃猿の彫刻
どんな伝承か
牛込では、村を東西に通る道を挟んで、北に斎藤右京、南に斎藤玄蕃という二軒の豪農が慶長のころ並んでいたという。斎藤家の先祖は平家の落人で、この地に住みついて田畑を耕し、次第に富み栄えたと伝わる。右京が屋敷の鬼門に子ノ上神社を建てると、玄蕃は張り合うように寺を建てることを思い立った。これが行徳寺である。玄蕃は本堂や山門の工事の監督を名工の左甚五郎に任せたといい、甚五郎は斎藤家に寝泊まりして寺を建て上げ、去るときに猿の彫り物を置いていった。この猿は玄蕃猿と呼ばれ、今も斎藤家に伝わる。本堂はたびたびの大風で倒れたが、山門は手を入れながら今日まで残っている。
原典より
甚五郎は斎藤家に滞在しながら寺の建立を完了したので、辞するに当って猿を彫って残した。—— 白子町史 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
白子町史
『白子町史』は、千葉県白子町の歴史を記した町史である。一ノ荘、五井、驚村、南白亀、観音堂などの地名の由来、源頼朝の駒止橋や御殿山の伝説、宝暦の新川開鑿、驚獅子の雨乞い、田辺万吾や皆川検校の事績、お塚山の伝承を、由来記や家の文書、村誌を引いて記す。地名と伝説を十三の項に分けて述べ、続く第五節には常福寺のらかんまきや白子神社のなぎなどの天然記念物を図とともに載せる。