彰子の御帳台で物の怪を駆り移す
どんな伝承か
寛弘五年九月十日の明け方、土御門邸では中宮彰子の御座所のしつらえが改められ、彰子はふだんの御帳台から白い御帳台へ移った。その西側には、中宮に取り憑いていた物の怪を移された下級の女房たちが霊媒として控え、一人ずつ屏風で囲われて、入口の几帳越しに受け持ちの祈禱僧が声を張り上げて経を読んだ。南の廂には僧正や僧都、東の廂には内裏の上級の女房、北側には紫式部ら中宮付きの女房が四十人ほど詰めた。方々の山や寺から験者が集められ、陰陽師も招かれ、神社への使いが次々と送られた。里から駆けつけた女房たちは中に入りきれず、年かさの女房たちは声を忍ばせて泣き惑った。紫式部は、高僧たちの読経が不動明王をこの世に呼び下ろしかねない勢いだったと記している。
原典より
この御帳台の西側には、中宮にとり憑いていた悪霊(物の怪)を駆り移された霊媒(下級の女房たち)がいる。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。