分娩時に物の怪が女官を通し罵る
どんな伝承か
寛弘五年九月十一日の明け方近く、中宮彰子は北の廂の間へ移り、僧正や僧都たちがそばで加持をした。人が込み合っては中宮も苦しかろうと、女房たちは南と東の面へ出され、几帳の内には道長の北の方と讃岐の宰相の君、内蔵の命婦だけが控えた。東面に出された小中将の君は、明け方に整えた化粧が涙で崩れ、別人のようになっていたという。院源僧都は道長が書いた安産祈願の願文を読み上げ、道長も声を合わせて祈った。散米で邪気を払い、髪をわずかに削いで形ばかりの戒を受けた彰子は、まもなく皇子を産んだ。そのとき、中宮から霊媒の女房たちへ移されていた物の怪どもが、無事のお産を悔しがって女房の口からわめき散らした。霊媒ごとに心誉・妙尊・尋光・千算らの験者がついて物の怪落としを祈ったが、千算は逆に物の怪に引き倒され、念覚が加勢に呼ばれた。叡効は一晩中叫び通して声をからし、物の怪を移そうと呼び出された人々には、どれにも移らずに騒ぎとなったという。
原典より
千算の場合は、かえって物怪に引き倒されてしまったので、念覚(阿闍梨)が応援に召し出された。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。