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教通室に小松僧都の霊が憑く

所在地京都府京都市
年代平安中期(十一世紀)
登場心誉僧都、小松僧都、左近、怨霊(道隆の子・定子の兄)、北の方の乳母
出典日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史

どんな伝承か

藤原教通の北の方は、懐妊してから怪しいことが続き、読経や修法が重ねられた。十二月の末に男君は無事に生まれたが、七日目の御湯の夜に北の方は急に苦しみだし、物怪を告げる者は貴船の神の名まで口にした。病は重くなるばかりで、柿ひたしの汁さえ口に入らず、験者が集まって加持しても、取り憑いた物怪は巫女にも移らず正体も明かさなかった。以前の出産のたびに小松僧都の霊がしばしば現れていたので、教通は今度もそれではないかと思った。心誉僧都を招いて加持を強めると、ようやく憑き慣れた女房に物怪が移り、小松僧都の正体が現れた。正月五日、僧都の霊は、加持をやめて引声念仏にしてほしいと頼み、教通はそれを聞き入れたが、北の方はそのまま息絶えた。遺言が無かったため、母と乳母は巫女に口寄せをさせ、北の方の霊の思いを聞こうとした。のちには、東宮傅道綱の北の方の物怪のしわざだという噂も立ったという。

原典より

さらに衆僧声をそろえて加持すると、いつも憑き慣れている女房に物怪がようやくのり移って、小松僧都の正体があらわれた。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))

『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。

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