三十三間堂の棟の由来
どんな伝承か
昔、京都の外れの里の百姓が、食べて寝るばかりで働かない大きなゴッテ牛を飼っていた。近所に笑われても、いつか役に立つと言って大事にしていた。そのころ都の高貴な方が、風が吹くたびに頭痛に苦しんでいた。高僧の見立てでは、昔亡くなった王子の墓のそばの柳の根が亡骸の頭に入り込み、風で柳が揺れるたびに痛むのだという。柳を切って寺の棟木とし、残りで仏を造って弔えば治ると言われたが、大木はどの牛にも動かせない。そこで例の牛に引かせると、軽々と京都まで運んだ。三十三間の柳に合わせて堂が建てられ、千体の観音が造られた。そこには亡き親に似た仏が必ずいると伝わる。
原典より
それで死んだ親に逢いたい時はこの三十三間堂の御寺にお詣りすると逢うことが出来るといわれています。—— 河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史)
『河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説』は、白山麓の河内村の村史の民俗編から、民話・伝説と故事を記した節を収めたものである。白山の千蛇ヶ池や富士山との背くらべ、高ボウケの大蛇、猿仏の名号、おひなの荒、天狗、菊酒、池の金山の伝説など、村と周辺に伝わる話を、白山関係の古文書や郡誌を引きながら記す。第三節「民話 伝説」、第四節「故事 伝説」、第五節「伝説」に分け、話ごとに題を立てて由来や現地のようすを添えている。