参らねば負ける巨人家綱の岩倉大権現
どんな伝承か
藤原秀郷八代の孫、足利家綱は背丈が二・五メートルを超える怪力の大男だった。小野寺民部大輔に妬まれて大宰府へ流されたが、三年のあいだ天満宮を信心し、満願の日にお告げを得て赦され、都で朝鮮の力士三人と相撲を取って勝った。帰郷して天満宮を祭り、家督を俊綱に譲って能忍地の館で余生を送り、天承元年の暮れにそこで没した。遺言どおり山越の明菊山、加茂別雷神社わきの岩窟に葬られ、岩倉大権現として祭られた。以後この地方では、相撲の前に岩倉大権現へ参らない力士は必ず負けるといわれ、綾川五郎治ら名だたる力士も参拝を怠って敗れたという。岩窟は採石で失われ、石宮は溜池の西の山すそに移されている。
原典より
そのためこの地方で相撲が催される時には、たくさんの力士が明菊山へ登ったそうである。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。