王禅寺の子どもの手形とルス札
どんな伝承か
王禅寺という集落に入ろうとする橋の左のたもと、新しい二階建ての農家の大戸の上に、墨で子どもの手形を押した白い紙が二枚貼ってあった。一枚は七つか八つ、もう一枚は誕生を過ぎたばかりの小さな手で、母親の筆らしく、この手の子どもは留守だと片仮名で書き添えてあった。この辺りでジフテリアがはやり始めていたためのまじないらしい。柳田国男は、紙に手を押す古い方式に、子は留守だと書く百年ほどの新しい方式が重なったものと見ている。王禅寺は禅寺丸柿の名の起こりとなった古い寺の門前の集落である。
原典より
王禪寺といふ部落に入つて行かふとする橋の左袂、まだ新しい二階建ちの農家の大戸の上に、墨で小児の手を捺した白い紙が二枚貼り付けてある。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。