洲か山かと問われた諏訪明神の森
どんな伝承か
延暦二十年(八〇一)の秋、東国征伐に向かう坂上田村麻呂は、長旅に疲れた兵を休ませるため、阿玉郷を中心とする一帯の台地に軍をとどめた。将軍は里人の案内で陣所を見回り、日暮れ近くに平山の台地へ着いた。北の眺めに見入った将軍が遠くの森を指して「あれは洲か、山か」と尋ねると、里人は霊験あらたかな諏訪明神の森だと答えた。将軍はその場で蝦夷平定を祈り、大同二年に東国を鎮めたのち社殿を建てて東国鎮護の神と崇めたという。この問いの言葉が転じて須賀山の地名が生まれ、明治二十二年に笹川村となるまで千年あまり呼ばれ続けたと伝わる。
原典より
須賀山の地名も、「洲か山か」が須賀山となり、以来明治二十二年、町村制が施行されて笹川村となるまで、およそ、千余年に亘って須賀山と呼ばれる基となった。—— 東庄町史 下巻(東庄町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東庄町史 下巻(東庄町)
『東庄町史 下巻』は、下総の香取郡東庄にあたる千葉県東庄町の町史下巻のうち、「民話・伝説」の項である。須賀山の地名伝説、高部と羽計の狐の祝言、城山の大蛇、花香稲荷縁起、黒部川と児塚の由来、干潟十八ヶ村の名付け、姥捨ての定命窪など十五の項を収め、小南の七不思議や東庄七井の一覧も含む。半数あまりの項に伝承地の区名を添え、『かぎろひ』記念特集号や『県民の森の歌』、「上代郷明細記」「東荘志」、旧家文書などの出典を記す。