舟を引き上げて越えた舟引きの地
どんな伝承か
青馬新田と八木山地先の境のあたりに下り坂があり、下りきった少し平らな所に「舟引き」という地名が残る。昔、北側の松沼方面が海、南側が谷津づたいに湖であった時代に、南から北へ、あるいは北から南へと舟を引き上げて通路にしたため、この名が残ったとみられ、地形からも納得できるという。長元の乱を起こした平忠常が、京から攻めてきた源頼信の軍勢に自軍の舟を奪われるのを恐れて撤収したときも、この通路を使ったと思われ、文禄年間に徳川の家臣松平家忠が武蔵の忍城から下総上代へ赴任した際もここを通ったとされる。寛文年間に椿湖が開拓される頃まで、重要かつ唯一の舟の連絡路であった。
原典より
青馬新田と、八木山地先の境のあたり、下り坂があり、下りきった少し平な所に「舟引き」という地名がある。—— 東庄町史 下巻(東庄町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東庄町史 下巻(東庄町)
『東庄町史 下巻』は、下総の香取郡東庄にあたる千葉県東庄町の町史下巻のうち、「民話・伝説」の項である。須賀山の地名伝説、高部と羽計の狐の祝言、城山の大蛇、花香稲荷縁起、黒部川と児塚の由来、干潟十八ヶ村の名付け、姥捨ての定命窪など十五の項を収め、小南の七不思議や東庄七井の一覧も含む。半数あまりの項に伝承地の区名を添え、『かぎろひ』記念特集号や『県民の森の歌』、「上代郷明細記」「東荘志」、旧家文書などの出典を記す。