手に映ったサムライの顔の話
どんな伝承か
昭和五十二年から五十四年頃のこと。南町に、仲間が金を出し合って借りた木造の二階家があり、皆はそこをハウスと呼んで寝泊まりしていた。荒久の海岸まで歩いて一分ほどの家である。二階の和室では、夜中に白い服の者が歩き回るのを何人もが見ていた。ある晩そこでコックリさんをすると、コップが示したのは『サムライ』『シンダ』『クビ』くらいだった。やがて床の間の壁に、髪を乱した侍のような男の顔が浮かぶ。タキさんこと滝村秀一が這い寄って触れると顔は消え、小さくなって彼の左手の甲に現れ、数分で見えなくなった。その日から彼は肉を断ち、髪を後ろで束ね、物腰まで武士のようになったという。
原典より
さっきの床の間にあった顔が、小さくなって、タキさんの左手の甲に現われていたのである。—— 奇譚草子(夢枕獏) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇譚草子(夢枕獏)
『奇譚草子』は、夢枕獏が雑誌の連載ページに書き継いだ怪異譚集である。「〜話」と題した短い話二十篇を収め、生霊の手、階下で蹴ったばかりなのに二階に座っていた祖母、雪山の死体、夜ごと来る小人など、多くは友人や知人から聞いた話を著者が聞き手として書き留める。ただし口上で架空の話も混ぜると断り、雪山の死体の話は読者の指摘で翻訳怪奇小説と同じ筋だったと認める続きの回を置く。末尾は箱根に住んだ元関取に憑いてスサノオと名告る存在の話である。