嫁のたゝり
どんな伝承か
明治十二年ごろ、房州館山に船大工の与太郎が、母のお慶、妻のお時と暮らしていた。与太郎は出稼ぎで家を空けがちで、強欲なお慶は嫁のお時をひどくいじめ、生まれた乳飲み子までつねって泣かせた。ある日、畑から戻ったお時に、お前に食わせる物はないと言い放ったため、お時は死んで祟ると言い返し、赤子を背負ったまま裏の井戸に身を投げた。それからお慶の畑では、胡瓜も瓜も茄子も、みな子を背負ったような形に育って食べられなくなった。自慢の玉蜀黍は先の毛が振り乱した黒髪のようで、皮をむくと中は空だった。嫁をいじめ殺した祟りだと評判になり、お慶は誰にも相手にされなくなったという。
原典より
お時はます悔しさに堪へなかつたやら、富才の赤坊を脊負たま、、裏の井戸に身をなげて、母子ともあへなきをとげてしまった—— 実説妖怪新百話 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
実説妖怪新百話
『実説妖怪新百話』は、著者名の記されない怪談集で、日露戦争の後に編まれたとみられる。本郷駒込曙町の世外庵に住む天保初年生まれの老翁の勧めで、門下生三十六人が籤で順番を決めて百物語の会を開き、自分の見聞や親・知人から聞いた話を語る趣向をとる。武家の妻の執念、化物屋敷、狐狸の化かし、前妻のたたり、漁師の幽霊の帰宅などを、会津・三河・東京・房州館山・野辺地・若狭小浜・盛岡などを舞台に題ごとに並べる。