念写実験 - 弘法大師の御姿出現
どんな伝承か
昭和五年三月十六日、嵯峨町長の筒井正克らが嵯峨公会堂で講演会を開き、福来友吉の講演の後、三田光一が念写を実演した。題は大覚寺の心経殿、町長が出した乾板一ダースの六枚目に写すと決まったが、福来は大師の姿が出るのではないかと予告した。三田はわずか十五秒の統一で終わりを告げた。町の写真館で現像すると六枚目には何も無く、七枚目だけが真っ黒に感光していた。そこへ祇園の写真師濱豊彦が進み出て減力処理を施すと、弘法大師の姿が浮かび上がり、聴衆は拍手も忘れて大師の宝号を唱えた。
原典より
右の如く、筒井町長は六枚目に心経殿を念寫することを要求せられたのに、それには何物も現はれずして、唯七枚目が全面真黒であつた。—— 念寫-心靈寫眞(福来友吉氏) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。