名古屋の縣會議事堂の實驗
どんな伝承か
大正六年、名古屋毎日新聞社の招きで、三田光一が名古屋の県会議事堂において念写の公開実験を行い、三千数百人が見物した。第三師団参謀長の神頭勝彌が封を切っていない乾板一ダースを預かり、題には総理大臣時代の桂公の肖像、写す位置には六枚目が選ばれた。三田は壇上で二分ほど精神を統一し、六枚目に写したと告げた。岩田写真館で現像すると六枚目に桂公らしい肖像が出たうえ、隣の五枚目と七枚目の端にも像があり、二枚を並べると「至誠」の二文字になった。福来友吉は、二日前に岐阜県で試みて失敗した至誠の念写が遅れて現れたものと解した。
原典より
すると、其の六枚目には正しく桂公に似た肖像(第三十四圖)が現出した。—— 念寫-心靈寫眞(福来友吉氏) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。