船形屋敷の白狐の祟り
どんな伝承か
船形屋敷の旧主田中作治郎が六、七歳のころ、毎晩小さな白狐が井戸端の穴から庭に入り、床几に座って夜通し屋敷を見守っていた。明け方には京都の方へ帰っていき、頭をなでてもおとなしかった。評判を聞いた人々が菓子や団子を供えたが、狐は食べなかった。ある朝、念仏堂裏の藪で村の宿屋菊屋の男衆が連れた犬をけしかけ、木に逃げた狐を竹棒で突き落として殺させた。作治郎の祖父が亡骸を屋敷に葬り、白陸大明神として祀ったが、男衆はまもなく熱病で死んだ。のちに屋敷を売る際に塚が壊され、屋敷の怪異は白狐の祟りと噂された。
原典より
狐を殺した男衆は、其の後間もなく熱病で死んで了つた。—— 念寫-心靈寫眞(福来友吉氏) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。