船形屋敷の怪異と空海の霊地の透視
どんな伝承か
京都の上嵯峨鳥居本小坂、亀山御陵のそばに、船形屋敷と呼ばれる四百坪ほどの土地がある。三十年ほど前までは、大中臣氏の末裔で薬づくりを家業とした田中作治郎の持ち物で、のちに染物業の花村萬壽治の手に渡った。昭和三年の暮れから、住んだ花村が重い脳病にかかり、次に借りた荒木某の老母が精神を病むなど不思議が続き、化生の障りがあると評判になった。昭和五年一月、移り住んだ心霊治療家の薄出然道が二夜続けて庭の一角に白い光を見たため、三田光一が一月二十一日に透視すると、空海が嵯峨天皇の病の平癒を祈った霊地だと告げたという。
原典より
此地は空海が時の帝嵯峨天皇の御悩平癒を祈る爲め、高野山に祀り奉れる丹生都比賣の大神の御霊を此に移し奉りて、百ヶ日の祈願を修めたる霊地なり。—— 三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉)
『三田光一の念写と透視能力に関する研究記録』は、福来友吉の著作から霊能者三田光一を扱う節を抜き出したものである。大正六年の通信による透視実験と、同年の名古屋の県会議事堂、大正七年の尼ヶ崎実科高等女学校、昭和四年末から翌年元日の日本地下水協会、昭和五年の京都嵯峨と牧野家での念写実験を、立会人や乾板の封じ方まで詳しく報告する。地下水協会と嵯峨の実験には著者の感想が付き、前節の透視実験の末尾、霊の幻化の章の序論、ホープ氏の節の冒頭も含む。