観衆の前で成った桂太郎肖像の念写
どんな伝承か
大正六年二月十日の午後、名古屋毎日新聞社の招きで、三田光一が名古屋の県会議事堂で念写の公開実験を行った。見物人は三千五、六百人にのぼった。写真師の岩田が封を切らない一ダースの乾板を出し、第三師団参謀長の神頭勝彌が監督役となって、題は総理大臣時代の桂公の肖像、写す位置は六枚目と決まった。三田は壇上で二分ほど精神を統一し、写したと告げた。現像すると六枚目に桂公に似た顔が現れ、さらに両隣の五枚目と七枚目をつなぎ合わせると至誠の二字が読めた。この字は二日前の夜、坪井秀の家で三田が念じた題だったという。
原典より
すると、其六枚目には正しく桂公に似た肖像(第三十四圖)が現出した。—— 三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉)
『三田光一の念写と透視能力に関する研究記録』は、福来友吉の著作から霊能者三田光一を扱う節を抜き出したものである。大正六年の通信による透視実験と、同年の名古屋の県会議事堂、大正七年の尼ヶ崎実科高等女学校、昭和四年末から翌年元日の日本地下水協会、昭和五年の京都嵯峨と牧野家での念写実験を、立会人や乾板の封じ方まで詳しく報告する。地下水協会と嵯峨の実験には著者の感想が付き、前節の透視実験の末尾、霊の幻化の章の序論、ホープ氏の節の冒頭も含む。