死神の美人に木津川へ誘われた婦人
どんな伝承か
明治三十五年ごろ、十七歳で大阪の西区阿波堀にある小野家に女中として住み込んでいた深見という娘が、身の上の悩みから木津川へ身を投げようと思い詰め、鋏で喉を突こうとした。主人の小野は催眠術に通じており、暗示をかけて自殺の念を抑えた。ところが数日後、昼寝をしていた彼女の枕元に見知らぬ美女が立ち、美しい所へ案内すると手を引いた。美女はその後も門口や湯屋の帰り道に現れ、ついに花の咲く谷間で少女たちが遊ぶ光景へ誘ったが、ふと我に返ると足もとは夜の木津川の岸辺で、美女の姿は消えていた。著者はこれを、抑えられた自殺の観念が死神の姿をとったものと解釈している。
原典より
今が今まで嬌花こ少女こを以て飾られたる谿谷こ見えたのは、谿谷ではなくて、木津川であつたのだ。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。