藤澤との再会で秋田横手へ
どんな伝承か
著者は上野停車場の待合室で、三年前まで一つ釜の飯を食っていた友人の藤澤に呼び止められ、残る話は車中でと汽車に引き込まれた。日暮里、浦和と乗り継ぐうちに深更となり、懐中は無一物で宿の当てもなく、結局は藤澤の行き先である秋田県の横手町まで同行することになった。板谷峠では窓の外近くに残雪が見えた。浴衣一枚のまま十余時間かけて横手駅に降り立つと、洋服姿の紳士と並んで歩く姿を子供らが嘲り、横手町開拓以来の珍客であったろうと記す。旅宿には東北の金山王と謳われた鉱山主の爲田文太郎が待っていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。