粕川に消えた智貝坊と義経の馬の塔
どんな伝承か
義経が奥州へ下る途中、ここまで来たところ、長雨で粕川があふれて渡れなくなった。智貝坊という山伏が川の案内を買って出て、白い鞍を置いた馬の手綱を引いて流れに飛び込んだが、激流に馬も鞍も智貝坊ものまれ、鞍は川底に沈んだ。下流に流れ着いた智貝坊の亡骸は川の東に葬られ、畑の中に智貝坊塚と呼ぶ所があったという。馬はやっと岸へ上がったものの原まで歩いて倒れ、その原に葬られて塔が立てられた。これが書上原で、駒が塔と呼ばれたその墓石はのちに正観寺へ移された。馬殿塔とは、この愛馬の塚の上に立てた塔の名である。
原典より
しかし粕川の激流はすさまじく、馬も鞍も智貝坊も、ともに水に呑まれてしまい、白い鞍は水底に沈んでしまった。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。