栄朝禅師の小松が根づいた牛打ちの松
どんな伝承か
建仁二年の春三月、世良田長楽寺を開いた栄朝禅師が、牛に乗って例幣使道を東へ下っていた。馬見塚に入るあたりの三ッ橋は、三筋の用水路が並び、それぞれに石橋が架かっていたのでその名がある。その橋の下で、麻疹の高い熱に苦しむ六つと三つの子を抱えた貧しい夫婦に出会い、禅師は牛を下りて小松の枝を子の頭にかざして祈り、御符を与えた。この橋の下でよく看病すれば治る、以後この橋を信心すれば麻疹は軽く済むから世の人に伝えよと告げると、禅師はその小松を道ばたの畑の隅に捨てて去った。子はやがて全快し、夫婦はこのことを近くの人々に話して馬見塚に住みついた。今も麻疹のときは三ッ橋をくぐると軽く済むという。捨てられた枝は自然に根づいて立派な松に育ち、人々はこれを牛打ちの松と呼んだ。天保年間の記録にも、栄朝が牛を打った松を挿したものだとする古老の説が見える。
原典より
また禅師が、病気の二人の子供の頭の上にかざして祈禱をした後、畑の隅に捨てた小松の枝は自然と根づき、次第に枝葉が繁茂し、りっぱな松の木になった。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。