関の太郎の鬼退治
どんな伝承か
正治元年(1199)のころ、上之郷の寂木の洞穴に異様な姿の賊が棲みついた。不破の関の生まれで関の太郎と呼ばれ、妖術で宙を飛んでは十日市場を荒らし、女をさらった。京で御所を警固していた領主交告源吾盛康は、家来の川原三郎・末国四郎時康・浦野次郎宗行・長岡兵衛を帰らせた。四人が薬師に籠もって祈ると、末国四郎の夢に、二月十日の祭礼に太郎が来ると告げがあった。十日市場に竹矢来の関を設け、村人の掌に朱印を押して通すと、印のない美少年が来た。正体を現して逃げかけた鬼は術を封じられて討たれ、都へ運ぶ途中で首が桶を破って榎の根元に落ちたので、そこに首塚を築いた。鬼は以後この地の守り神になると言い残したと伝わる。
原典より
鬼は人間の姿からもとの姿に立ちかえって空を飛んで逃げようとしましたが、薬師如来様の神通力によって鬼の妖術が使えなくて、ついに四人の武士たちに取りおさえられて討たれてしまいました。—— 御嵩町史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚と二つの異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、薬師の光で盲目になった三少女の由来、明治以後の暮らしを記す。