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鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池

所在地岐阜県可児郡御嵩町(鬼の首塚)
出典御嵩町史 民俗編

どんな伝承か

鬼が討たれたころ、人々は首が離れていても五体をそのまま埋めれば何をしでかすか分からないと恐れ、胴と手を切り分けて別々に葬ったという。首塚には、頭痛が治ったお礼に細長い白紙の幟を塚から国道へ両側に並べる千本幟が、かつてよく見られた。胴塚は今の豊田製作所の南の埋立地にあたり、昭和初期までは田の中に松と樫を植えた楕円の塚があった。手塚はみたけ東急ニュータウンの遊園地の西、電車線路の南の田にあり、昭和二十年ごろまで桜を植えた円い塚があった。瑞浪市側の鬼岩公園から松野湖へ向かう道沿いには崖の大岩の下に首洗い池と呼ばれた深い池があったが、関の太郎の首を洗ったのか、鬼岩の別の悪者の首かは定かでない。

原典より

鬼が退治されたころの人たちは、たとえ首は離れても鬼の五体をそのままに埋めておくと、いつ何をするかわからないので胴と手に切ってわけて埋めた。—— 御嵩町史 民俗編 より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

御嵩町史 民俗編

『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚と二つの異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、薬師の光で盲目になった三少女の由来、明治以後の暮らしを記す。

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