鬼の手塚
どんな伝承か
退治された鬼について、当時の人々は、首を切り離しても体をそのまま埋めればまた何をしでかすか分からないと恐れ、胴と手を切り分けて別々の所に埋めたと伝わる。そのうち手を葬ったとされるのが手塚である。みたけ東急ニュータウン団地の遊園地から西へ八十メートルほど、電車の線路の南十五メートルほどの田の中にあり、直径七メートル、高さ一メートルほどの丸い塚で、桜の木が植わっていた。昭和二十年ごろの姿として記されている。
原典より
鬼が退治されたころの人たちは、たとえ首は離れても鬼の五体をそのままに埋めておくと、いつ何をするかわからないので胴と手に切ってわけて埋めた。—— 御嵩町史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚と二つの異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、薬師の光で盲目になった三少女の由来、明治以後の暮らしを記す。