大寺ごじょ(薬師の光で盲目になった三少女)
どんな伝承か
御嵩では門付けをする盲目の女芸人を「ごぜ」とは呼ばず「ごじょ」と呼ぶ。その起こりとして、長徳二年に行智尼が尼が池から薬師如来像を引き上げ、正宝庵にまつった話が伝わる。尼は都から連れてきた春光・丹寿・五位の三少女に、厨子を開けて拝んではならないと言い置いて出かけたが、三人は留守の間に扉を開け、まばゆい光を浴びて盲目になった。尼は哀れんで琵琶を教え、三人は尼僧の修行を積みながら願興寺で琵琶を弾いて勧進した。のちに三人はそれぞれ住まいを構え、名を継ぐ者が江戸末期まで続いた。明治以後は寺の援助を失って門付けに出たが、東濃一帯のごぜを取り締まる立場にあったという。
原典より
とたんにたちまち強いご光をまともに受けて三人とも盲目になってしまった。—— 御嵩町史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚と二つの異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、薬師の光で盲目になった三少女の由来、明治以後の暮らしを記す。