鬼の首塚と千本幟
どんな伝承か
退治された鬼の首を埋めたと伝わる鬼の首塚は、頭痛に悩む人々の祈りを集めてきた。願いがかない頭痛が治まると、人々はそのお礼に、長さ十センチ、幅二・五センチほどの白い紙でこしらえた小さな幟を奉納した。幟は塚から国道の方へ向けて道の両側に立て並べられ、千本幟と呼ばれた。片側に五〇〇〇本ずつ立てたと記されており、四十年ほど前まではよく見かける光景だったという。
原典より
四〇年ほど前までよく見かけたものであるが、長さ一〇センチ、幅二・五センチくらいの白い紙の幟にしたものを片側五〇〇〇本ずつ両側に塚から国道にむかって千本幟をたて、…—— 御嵩町史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚と二つの異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、薬師の光で盲目になった三少女の由来、明治以後の暮らしを記す。