子安曼荼羅と日蓮の柳の護符
どんな伝承か
新曽の妙顕寺には子安曼荼羅という掛け軸が伝わり、今も安産のお守りとして大切にされている。七百年ほど前、阿弥陀如来を信じる郷士の墨田五郎時光のもとで、子が七日七晩たっても生まれず苦しんでいた。佐渡へ流される日蓮が新倉から笹目の渡しを越えると聞いた時光は、急ぎ家来を送った。わけを聞いた日蓮はその場で安産を祈り、柳の枝を折って噛み、筆の代わりにして護符を書いた。家来が持ち帰るとすぐに男の子が生まれた。礼を言おうと後を追った時光が日蓮に追いついた浦和の宮は、それから調宮と呼ばれたという。時光はのちに日蓮の高弟の日向を招き、妙顕寺を開いた。
原典より
そして、そばにあった柳の枝を折り、枝をかんで、それを筆の代わりに用いて護符を作った。—— 戸田市史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
戸田市史 民俗編
『戸田市史 民俗編』は、戸田市の市史民俗編から、第三節「伝説」だけを収めたものである。美女木・新曽・上戸田・下戸田・下笹目・惣右衛門の話者が語った、源頼朝の奥州征伐にまつわる美女木の地名のいわれ、下笹目の聖釜のヌシとカッパ、荒川に身を投げた女の地名、美女木八幡の鐘、弘法大師の石芋や弘法清水などを収める。説明伝説・歴史伝説・信仰伝説を広くとり、村・ホラ、石・岩、水、塚、祠堂、その他の六つに分け、各話の終わりに話者の地区を記す。