夫の墓を守り続けた光明寺の節婦
どんな伝承か
千年あまり前、若旅の光明寺という所に、芳賀郡の少領を務めた下野公豊継が妻と仲睦まじく暮らしていた。弘仁一四年(八二三)三月一九日に豊継が病で亡くなると、妻は亡骸から離れようとせず、葬儀の後は墓のそばに小屋を建てて住み、光明真言を唱えて夫の成仏を祈り続けた。その泣き声は里じゅうに響いたという。話は都の嵯峨天皇にまで届き、妻は少初位上の位を授けられ田租も免じられた。生涯墓を守った節婦のため、里人は墓を築いた。光明寺の卵塔がその墓で、墓を造るとき臼をひくような音が聞こえたので「すりうす」と呼ぶ所もあると伝わる。
原典より
若旅の光明寺にある卵塔という場所、そこが節婦の墓だ。—— 真岡市史 第5巻(民俗編)――伝説・昔話(真岡市(編)・真岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
真岡市史 第5巻(民俗編)――伝説・昔話(真岡市(編)・真岡市史)
『真岡市史 第5巻(民俗編)――伝説・昔話』は、栃木県真岡市の市史民俗編から、第十四章「口頭伝承」の第一節「伝説・昔話」を収めたものである。大だら法師の足跡、釜淵の燈籠、大前堰の人柱、へび娘など、五行川・鬼怒川・小貝川の淵や沼、社寺にまつわる伝説と、タヌキやキツネに化かされた話を、既刊の民話集・伝説集と新たな採話から集める。冒頭に口頭伝承の参考文献を掲げ、各話の末尾に典拠を記し、結びの「まとめ」で話を河川・社寺・沼・動物の別に整理する。