苔に埋もれた観音と娘の腫れ物
どんな伝承か
行基が刻んだ十一面観音は山上の堂に祀られ長尾山善応寺と呼ばれたが、長い年月のうちに堂は荒れ、像も苔に埋もれた。藤原道長の全盛期、土地の里正葉山某の美しい娘が顔の腫れ物に苦しみ、陰陽師安倍保仲に年内の命と占われた。両親が諏訪明神に願をかけると、池のほとりに苔むした観音像があるとの夢のお告げがあり、見つけた像の宝瓶で池の水を汲み、七日祈ってから洗うと腫れ物は消えたという。夫婦は堂を建てて子生山感応寺と名づけた。のちに天台の高僧の修行中、閼伽水と蓮の花を供えた童子は諏訪明神の化身だったと伝わる。
原典より
両親の驚きは限りなく、何とか命を助けようと大蛇を祀った諏訪明神に願をかけたところ、満願の日に夢の神託があった。—— 逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史)
『逗子市史 別編1 民俗編――伝説』は、逗子市の市史のうち、別編第一巻の民俗編にあたる巻の一部である。池子・沼間・桜山・小坪・久木・山の根など市内の土地に伝わる伝説を収め、和泉から来た一行が金を埋めたという金山権現、行基の十一面観音と大蛇、六代御前の墓、為朝の矢の根井戸、頼朝と新箸の宮、河童松、お夏狐などの話を記す。伝説の章の末に河童や狐、庚申の夜の短い話を添え、続く方言・訛語の章では逗子の語彙を五十音順に並べる。