頼朝に茅の箸を供えた娘広尾
どんな伝承か
源頼朝が真田与一と柳川弥二郎を供に三浦へ向かう途中、山中で道に迷い、機を織る音をたよりに一軒の茅葺きの家を訪ねた。織り手は久野谷六大夫の娘広尾で、久野谷は久木の古い呼び名である。床の間のくつわとえびらのいわれを問うと、六大夫は沼浜城で源義平の馬の世話をしており、義平が上京する際に形見として授かったと答えた。頼朝が義平の弟だと明かすと、六大夫は奇縁に涙したという。もてなす物のない広尾は栗飯を炊き、庭の茅の茎を箸にして差し出した。昭和の初めまで久野谷などでは七月二十六日に蕎麦を打ち、新しい茅の箸を添えて神棚に供えていた。
原典より
やむを得ず栗の飯を炊いて、とりあえず庭の茅の茎を切って箸として頼朝の前にそなえた。—— 逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史)
『逗子市史 別編1 民俗編――伝説』は、逗子市の市史のうち、別編第一巻の民俗編にあたる巻の一部である。池子・沼間・桜山・小坪・久木・山の根など市内の土地に伝わる伝説を収め、和泉から来た一行が金を埋めたという金山権現、行基の十一面観音と大蛇、六代御前の墓、為朝の矢の根井戸、頼朝と新箸の宮、河童松、お夏狐などの話を記す。伝説の章の末に河童や狐、庚申の夜の短い話を添え、続く方言・訛語の章では逗子の語彙を五十音順に並べる。