綾部での鎮魂帰神法の実修
どんな伝承か
浅野和三郎は大正五年から丹波の綾部に身を置き、そこへ集まってくる修行者や信者に鎮魂帰神法を施した。綾部にいた前後七年のあいだに扱った人の数は、ざっと二万人ほどにのぼったという。修行者のなかからは多種多様な霊的現象が起こり、霊言(天言通)や霊眼(天眼通)を示す者が毎日五人、七人と現れて、途切れる日はなかった。自動書記の例も多かった。ただ土地は山の中で信仰を中心とした場所だったため、学者の立ち会いもなく、実験の多くは記録も整理もされないまま埋もれてしまったと浅野は振り返っている。
原典より
私は綾部在住前後七ヶ年の間に、この鎮魂法を以て、隨分多数の人々を取扱ひました。—— 心霊縦横談(浅野和三郎・心霊縦横談 第一輯) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊縦横談(浅野和三郎・心霊縦横談 第一輯)
『心霊縦横談』は、浅野和三郎が心霊研究の立場から書いた論説と講演を集めた論集である。大正十五年二月の日付をもつ論説や、昭和三年の大連、昭和五年の大阪での講演記録を収め、科学と心霊現象、宗教と科学、予言の事実と理論、信仰の自由などを論じ、類似宗教の流行や禅僧の言説、ラジオの「朝の修養」の題材選びへの批判にも及ぶ。長めの論説・講演に短い時評を続けて並べ、一部の篇の末尾に日付と講演の場所を記す。