山王様の獅子頭(明智の遺児)
どんな伝承か
中馬場に祀られていた山王様には獅子頭があり、次のような由来が伝わる。明智光秀の弟の明智左馬助光春は琵琶湖の戦いに敗れると、光秀の子の音次丸に角兵衛獅子の身なりをさせ、家来七人を連れて落ちのびた。一行は馬場の地に住みつき、そのとき用いた獅子頭を山王神社に納めた。江戸時代になって、博打に負けた者がこの獅子頭を西袋の質屋サヘイドンに質入れし、サヘイドンはそれを花又の大鷲神社へ流した。いま大鷲神社に伝わる獅子頭は馬場のものだという。音次丸を祖とする家では、秀吉の馬印である瓢箪を作ってはならないとされている。
原典より
昔、明智光秀の弟であった明智左馬助光春は、琵琶湖の合戦に破れ、光秀の一子音次丸を角兵衛獅子の姿に変え、家来七人と共に逃げた。—— 八潮市史 民俗編――伝説・怪異(八潮市(編)・八潮市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
八潮市史 民俗編――伝説・怪異(八潮市(編)・八潮市史)
『八潮市史 民俗編――伝説・怪異』は、埼玉県の『八潮市史』民俗編から伝説の部分を収めたものである。市内の各地区で聞き取った稲荷火や狐の嫁取り提灯、狢・河童・蛇の話、徳川家康の鷹狩りにちなむ地名や塚の由来、地蔵や人魂、念仏橋の話を、話者の言葉づかいのまま地区名を添えて並べる。概説のあとに自然伝説・歴史伝説・信仰伝説の三つに分け、話の群ごとに『日本民俗事典』や『武蔵の伝説』などを引いた参考を付ける。