母子を偲ぶ稲葉の親抱松
どんな伝承か
元弘のころ、北条仲時の一族である南左衛門正森が、宇都宮公綱に従って京都近辺の戦へ出陣した。妻の倉橋美登留は京都にあり、九歳になる娘の小桜姫を公綱のもとへ預けていたが、その娘を慕って下野の稲葉まで下り、道端で息絶えた。姫はこれを聞いて駆けつけ、日夜母の墓のそばを離れずにいたが、やがて同じく死んだ。村人が二人を並べて葬り、大小二本の松を植えたところ、育った小松と大松が母子の抱き合う姿に見えたので、親抱の松と呼ぶようになったという。
原典より
元弘年間北條仲時の一族南左衛門正森が宇都宮公綱に従つて京都附近の戦に出陣した。—— 日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊)
柳田国男・日本放送協会編『日本伝説名彙』を全650話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。