光り玉と火の柱、帰ってきた戦死者の魂
どんな伝承か
陣田では光り物の話が数多く語られた。墓の前で自分の影が前に映り、振り返ると稲光の固まりのような光が背後にあったという。中沢須摩さんは十四歳の正月十四日、道陸神の厄落としのときに、裏山から直径二十センチほどの光り玉が出て畑で消えるのを見た。十五歳前に光り物を見た者は一生見るといわれ、実際によく見たという。宮ゲートの奥から御所ゲートへ登る道では、荷を背負って帰る途中に一丈も二丈も火の手が伸び、周りを照らさないキツネ火だった。亀沢の百香供養塔下の田んぼにも火の柱が立ち、人玉も人が死ぬたびに見えた。戦時中に中沢清和が戦死したときは、ニューギニアから光り玉が来てケヤキの枝に留まったという。
原典より
亀沢の百香供養塔下の田んぼに直径一m、高さ十mぐらいの火の柱が立ち、上の方からだんだん消えたが、きれいなものだった。—— 倉渕村の民俗(群馬県民俗調査報告書 第18集)(群馬県民俗調査報告書) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
倉渕村の民俗(群馬県民俗調査報告書 第18集)(群馬県民俗調査報告書)
『倉渕村の民俗(群馬県民俗調査報告書 第18集)』は、群馬県の民俗調査報告書のうち倉渕村の巻の一部で、章の途中から始まり、地蔵信仰の条の途中で切れている。十二様や便所の神への安産の願い、道祖神、口寄せのアガタ、オサキ使い、山犬様、狐火・光り物・火の柱・人魂の怪異、三隣亡やお百度の俗信を、聞き取った地区の名を添えて記す。続く「四、仏教民俗」では明治十二年の「寺院明細帳」による村内寺院の表を掲げ、観音・薬師・地蔵の信仰を述べる。