熊に逢った処と熊皮の価
どんな伝承か
明治四十二年五月三十日、柳田国男は木曽の王滝村滝越を発ち、飛騨との国境へ向かった。道の途中で、前の年に人が熊に出会ったという場所を通った。その熊はのちの二月になって捕らえられ、皮は十五円で売れたと聞いた。熊笹をかき分けて進むと三浦の休泊小屋があり、そこから奥が三浦山と呼ばれる。この山はもと高山の支配だったが、明治の初めに管轄を争って裁定を受け、木曽の側に付けられた。ところが飛騨側の出張所の受け持ちが二里ほどなのに比べ、木曽側には七、八里に及ぶ所もあって盗伐を防ぎきれず、飛騨側に頼っているのが実情だという。
原典より
もとは高山の支配なりしを、明治の初年管轄を争ひ、官裁を受けて之を木曾に附けることゝなれり。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。