洪水の死者を弔う下崎の背高地蔵
どんな伝承か
承応年間、関東一帯が長雨に見舞われ、利根川や荒川の堤があちこちで切れて大洪水となった。騎西のあたりでも下崎や中ノ目の村は家を流され、多くの命が失われ、田畑は荒れ果てた。年月がたつと村へ戻った人々が少しずつ耕し、田畑はもとの姿によみがえった。洪水からおよそ六十年後の享保三年、下崎の村人は犠牲者を弔うため、どんな洪水にも沈まない背の高い地蔵を建てることに決め、高さ約二・四メートルの背高地蔵を造った。これを聞いた中ノ目村の人々も、六年後の享保九年、星川の控え土手の下に負けないほど大きな地蔵を建てた。いまも下崎の地蔵は南の田を、中ノ目の地蔵は東を向いて立っている。
原典より
大洪水で犠牲になった村人たちの供養のために地蔵尊を建てることになりました。—— 騎西町史 民俗編――伝説・昔話・妖怪(騎西町(編)・騎西町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
騎西町史 民俗編――伝説・昔話・妖怪(騎西町(編)・騎西町史)
『騎西町史 民俗編――伝説・昔話・妖怪』は、騎西町が編んだ町史民俗編のうち、方言一覧の末尾と第9章「伝説・昔話」を収めたものである。調査協力委員や地域の老人クラブを通じて集めた二十八話で、久伊豆明神(玉敷神社)の獅子、雷電社の雨乞い、和尚の説話、いぼとり地蔵、入定塚、念仏橋、狐やムジナに化かされた話などを、話者名や郷土誌の出典を添えて載せる。章のはじめに伝説と昔話の違いを述べ、神社・寺堂・塚と橋・行事のいわれ・妖怪談の五節に分ける。